北北西のほくほくメイクイーン

いろんな感想のメモです

ルバイヤートの"The Moving Finger..."を調べ直したメモ

自分で書いた記事を2年ぶりに読み返して、これもっとちゃんと調べられるだろJK……と思ったので調べ直しました。そのメモです。2年前の記事はこれ↓

nbnw.hatenablog.com

 

フィッツジェラルドの英訳とたぶんこうかな?の訳文

The Moving Finger writes; and, having writ, Moves on: nor all thy Piety nor Wit Shall lure it back to cancel half a Line, Nor all thy Tears wash out a Word of it.

上で貼った記事にもあるけど見に行くのだるいのでこっちにも載せます。ほんで日本語訳が拙いのでやりなおしします。拙いというかthyをまるっと無視してたり、この意味はどっから出してきたんだみたいなのがあったりしてますね。当時見たいろんな情報に混乱してたのがよくわかりますね。

一旦まっさらな状態で、そのまんま意味を取ってみようと思います。

動く指が(言葉や文章を)書き、書き終え、また動き出す:そなたの敬虔さ(・信心)も知恵も、誘惑して(書いた文章の)半分の行を消させることなんてできないし、そなたの涙でその(書いた)言葉のひとつだって流し去ってしまうことはできない

書き直したのにまだちょっとわかりにくい。でも今読み返してなんとなくですが、覆水盆に返らずみたいな意味かなって気もしますね。

流石にアレなのでいくつか参考にサイトを見てみました。物理の本にあたった方がいいんだろうけど図書館に行く暇がないので……。

 

参考に見たいろいろ

The Phrase Finder

The saying 'The moving finger writes' - meaning and origin.

ある人の人生においてなされたことはなんであれその人の責任であり、変えることはできないという気づきを表現したもの

みたいなかんじのことが書いてありました。簡潔だ。

ある動作が終わったらそれはもう過去になり、過去は変えようがないってのを書くという行為と書かれた文字で比喩してるみたいな感じなのかな?シェルドンはやっぱり「やってしまったことはもう変えようがないんだ!(言い訳したって今更どうもできないんだ)」というようなことを言いたかったとかかな。

ここも確認しなおしたいんですがBig Bang Theoryがアマプラ見放題ではなくなってしまいました。今はUNEXTとHuluで見られるみたいです。どっちも加入してない。残念。

 

University of Glasgow Library Blog

“The Moving Finger writes…” Edward FitzGerald and the Rubáiyát of Omar Khayyám. – University of Glasgow Library Blog

青空文庫の日本語訳の方も読み返してみたんですが、これペルシア語から直接訳したものなんですね(まえがきに書いてあった)。上のブログによると、フィッツジェラルドの訳は直訳ではなく“paraphrase”したものであるようです。単純に見比べてもこれだ!ってのがわからないのはそのせいなのかもな~という気がしてきました。

 

EXPLORING KHAYYAAM

Quatrain 36 — exploring khayyaam

Edward Heron-AllenとArthur John Arberryによる「フィッツジェラルドの"The Moving Finger..."の元となったペルシャ語の四行詩はこれ、それの英訳はこう」ってのがそれぞれあるみたい?です。二人ともイギリスの研究者?かなんか??ルバイヤートの翻訳したりしてる?みたい??はてなが??多すぎる?????素人だから許してほしい

こちらで紹介されている、Heron-Allenによる"The Moving Finger..."の起源(Ouseley 31)を日本語にしてみます。例によって英語ポンコツで正確性がだいぶアレです。

1つめ

はじめからあるべきものが書かれていた;
ペンは善悪に無頓着だ;
最初の日に彼はすべてのあるべき姿を決め――
我々の嘆きや努力は無駄である。

※unhaltinglyの訳語がわかんなかったのでスルーしちゃってます

2つめ

どうあるべきはずっと前に書かれていた、
休むことのないペンは良いことも悪いことも何も惜しまない;
それよりも前に人生のルールが書かれ、
我々の不機嫌も、頑張ることも……時間の無駄である。

 

Arberryが"The Moving Finger..."の主要なソースとしているのは別のもの(Bodleian/Ouseley 54)みたいです。

何であれ一度ペンが書いたものから変化することはなく、
嘆きを介抱する傷ついた心があるだけだ;
人生を通じてあなたは血の涙を飲み込み
既存の楽譜に一滴でさえ加えられることはない。

 

Govinda Tirtha, Nectar of Grace, VI.12にあるのは以下の詩。

運命は一度書かれたもの訂正しないし、
与えられた以上の穀物は降ってこない。
卑劣な心配事で心が出血することに気をつけなさい、
心配事はあなたの心を惨めな苦境へと投げ込んでしまう。

 

Bodleain Ouseleyはよくわからんけどこれ(Ouseley)でHeron-Allenさんが見た元のやつなのかな?Calcuttaはぐぐっても都市の名前しか出てこなかったけど元の文献かなんかなのかな~。

 

さいご

以上を踏まえた上で青空文庫の方を読み返してみたら、これかなって思ったのがあったので載せます。ちなみにこちらの割り振り番号は26です。

あることはみんなそらの書に記されて、
人の所業しわざを書き入れる筆もくたびれて*、
さだめは太初はじめからすっかりさだまっているのに、
何になるかよ、悲しんだとてつとめたとて!

26の註

イスラム教徒の信仰によると、創生の日に神の筆がすべての天命を神の書に記入し、また日ごろ人間の善業悪業をもいちいち記入して裁きの日に備えるといわれている。

オマル・ハイヤーム 'Umar Khaiyam 小川亮作訳 ルバイヤート RUBA'IYAT

めっちゃこれっぽいな~!

上の方で比喩なんかなと考えてましたが神の書・神の筆ってのがあって、そのことを言ってたんですね。シェルドンが言いたかったこともなんとなくわかった気がします。そしてこの"The Moving Finger..."の一節は英語圏ではだいぶ有名なようですが(クリスティのタイトルになったり、キング牧師ビル・クリントン大統領の演説に使われたり)、ペニーがそんなこと知るわけないんだからハァ?ってしちゃった、ってシーンって理解で良いのかな。

またルバイヤートや2000篇以上あるようで、しかもそれが全部ハイヤームの作によるものなのか、ちゅうかオマル・ハイヤームについても詩人と天文学者がそれぞれ別の人なの?同一人物なの?とかあるみたいです(現在では全部オマル・ハイヤームの詩で、詩人と天文学者も同一人物説が主流っぽい?)。ここらへんは上の方で貼ったUniversity of Glasgow Library Blogにざくっとわかりやすく書かれてたのでそちらを読まれたほうがいいかもです。読むとフィッツジェラルドの訳した本、最初全然売れなかったんだ…これも死後評価された系?悲し…とかなると思います。

というか実は青空文庫をずっと「指」とか「書く」とかで検索して見つからず、なくねえか~?と訝しんでたんですが「筆」だったのか。英訳した人たちもpenとかwriteとか使ってるんでlost in translationってこういうこと~?(ちょっと違うか)と思いました。

なんとなくでもわかってすっきり!終わりです。